その一言が子どもの“考える力”を育てる

育児&幼児教育サポーターのUmiです😊

 

子どもたちと接していると、こんな場面に出会うことがあります。

お片付けの時間になっても、一人だけまだ遊びに夢中な子がいる。

 

そんな時、大人がつい言ってしまうのが、

「みんなもう片付けてるよ?」
「ひとりだけまだやってないよ?変だよ?」
「早くしないと置いていかれちゃうよ?」

これは日本の保育や教育の現場ではごく普通に見られる光景かもしれません。

この声かけ自体に、悪意や否定的な意図はないはずです。

「みんなと足並みをそろえること」や「空気を読むこと」を教えようとしているのでしょう。

でも、私はこの声かけに違和感を感じてきました。

なぜならそれは、「周囲に合わせることが正解だ」というメッセージを、無意識に子どもに刷り込んでしまうからです。

 

♦︎周りがどうしているか、ではなく「自分にとってそれは正しいか?」

オーストラリアで保育士として働いていたとき、同じような場面に出くわしました。

でも、現地の保育士が子どもにかける言葉はまったく違っていました。

「Is it the right thing to do?(それは正しいことかな?)」

この一言に、私は衝撃を受けました。

なぜならこの言葉は、周りに合わせるのではなく、自分で考えて選ぶことを促しているからです。

他にも、
「あなたはどう思う?」
「何がベストだと思う?」
「今の選択に満足してる?」

そんな風に、子ども自身の内側にある“判断の軸”に働きかける声かけがとても多いのです。

 

♦︎小さな声かけの違いが、人格形成に与える大きな影響

日本では、調和や協調性が重視される文化があります。

だから、「みんなと同じ行動を取る」ことが推奨されやすいのかもしれません。

もちろん、それは一つの大切な価値観です。
社会の中で共に生きていくためには、時に空気を読むことも必要です。

でも、それだけが正解ではないと思うのです。

「自分はどう感じているのか?」
「それは本当に自分にとって大切な行動か?」

そうやって、自分の内側に意識を向けて選択できる力は、
これからの多様化した社会を生き抜く上で、ますます重要になってきます。

私たち大人が、毎日何気なく発する声かけ。

その小さな積み重ねが、

「周りに合わせて生きる子」になるのか、
「自分で選び、自分の足で人生を歩く子」になるのか、

その分かれ道になっているのかもしれません。

 

♦︎「正しいかどうかを考える力」を育てる

まだ言語能力や論理的思考が発展途上な幼児期。

だからこそ、「正解を教える」だけでなく、
「考えるための問いかけ」を投げかけることが、
その後の思考力や判断力の土台になるのではないでしょうか。

たとえば、

  • 「友だちを叩いたらどうなるかな?」
  • 「○○ちゃんはどう感じたと思う?」
  • 「自分がされたらどう思う?」

こんな風に、相手の気持ちや行動の結果を“自分で考える機会”を与えることが、
倫理観や自己決定力を育てる第一歩になるのです。

 

♦︎これからの時代に必要な「自分で選び取る力」

これまでの時代は、「みんなと同じ」ことをうまくやる能力が求められる場面が多かったかもしれません。

でもこれからの社会は、もっと個性や多様性が重視される時代になっていきます。

周りがどうしているかではなく、

「自分はどうしたいのか」
「自分にとって何が正しいのか」

を考え、選び取っていける力こそが、
未来を切り開く力になっていくのではないでしょうか。

 

その力は、大人になってから急に身につくものではありません。

幼児期からの積み重ね——つまり、毎日の何気ない声かけの中で育んでいきたいものです。

 

♦︎あなたなら、子どもにどんな問いを投げかけたいですか?

保育士として、親として、教育に関わる大人として、
私たちが子どもにできることの一つは、
「自分で考える問い」を渡すこと。

「みんなと同じにしなさい」ではなく、

「それは正しいと思う?」
「自分で選べるかな?」

そんな声かけを、今日から意識してみませんか?

子どもたちが、「自分の人生を、自分で選び取る力」を身につけて生きていけるように。

その第一歩は、私たち大人の言葉から始まるのだと思います。

 

 

今日もみんなが笑顔で過ごせて
穏やかに熟睡できますように🩵

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